「年齢で諦めるな」。感謝の気持ちを胸に秘めて立ち上がる不屈のプロボクサー

プロボクサー
大竹 秀典

ゆるく生きていた自分を変えたくてボクシングの道へ

第43代東洋太平洋スーパーバンタム級チャンピオン・大竹秀典の入場。後楽園の試合会場の空気が変わる。過剰に強さを誇示するでもない。感情を見せない凛とした姿に、場内には張り詰めた緊張感が生まれ、次第に熱気が高まっていく。

これが「王者の風格」なのか。

そんな大竹がボクシングと出会ったのは、21歳の頃に遡る。

「特にやりたいこともなく、ゆるく生きていた自分が嫌で嫌で。『今まで何をして生きてきたんだ』と自分に憤りを感じていました。自分を変えたくて色々と考えた末に『まずは身体を鍛えよう』とスポーツジムに通い始めたのですが、そこでひとり黙々とシャドーボクシングをしている人に出会ったんです。格闘技にはもともと興味があったので、その人に地元のボクシングジムを紹介してもらいました」

ボクサーとしては遅めのスタートながら日本王座を獲得

ボクシングを始めた当初は、世界を目指すなんて考えもしなかった。けれど、「自分の性根を叩き直すために、厳しいボクシングに本気で身を投じよう」と決意した大竹は、翌年22歳で地元のアマチュア大会に出場。そして自分自身に挑戦するため、23歳のときに郷里の福島県から東京に上京する。たまたま小田急線車内から見えた看板「金子ボクシングジム(所在地:下北沢)」の門を叩き、身を寄せることとなった(現在、下北沢駅は小田急線の地下化され、看板は見えない)。金子ボクシングジムで本格的に練習を開始し、1年後の24歳でプロボクサーのライセンスを取得。ボクサーとしては遅めのスタートである。

「福島の知り合いなどからは『突然、どうしたんだよ』と半ば呆れられていました。心配のあまり、両親に理解されない時期もありましたね。それが少しずつ変化していったのは、僕が試合に勝って結果を出し始めてからです。福島の人たちは、東京での試合にも駆けつけて応援してくれます。一人ひとりの応援が僕の力になるので、とてもありがたいことです」

プロデビューから7年後の2012年8月、ついに大竹は日本スーパーバンタム級の王座を獲得する。ボクシングの「ボ」の字も知らなかった青年が、一意専心し掴んだ栄光である。その後、2014年3月までに4度の防衛戦に勝利し「世界」を視野に入れ始めたころ、予期せぬ知らせが舞い込んでくる。同年11月、リバプールで予定されていた世界戦の日本人対戦者が負傷し、急遽、大竹が代役で戦うこととなったのだ。

世界戦敗北で人生最大の挫折。引退の危機を乗り越え、再び世界に挑む

しかし、世界戦では3-0の判定負け。当時の大竹は怪我から回復直後ということもあり、万全の体調ではなかった。「そうしたことが負けた要因になっているのでは」と問いかけると「それは関係ないです」と一蹴された。

「圧倒的な実力の差を感じました。『日本王座を獲得すると、世界も狙える』とよくいわれますが、はっきりと『レベルが違う』ことを痛感。このとき、人生初の大きな挫折を味わいました。当時の僕は33歳と、ボクサーとして若くはありません。『これからもボクシングを続けて、はたして伸びるのか?』と真剣に悩み、一時は引退もよぎりました」

周囲の試合評価は賛否両論で、中には厳しい論評もあったようだ。だが、崖っぷちに立たされた男は、もう一度リングに戻る決意をした。

「『自分で考えてボクシングをしていなかった』と気づきました。それまでの僕は、トレーナーやマネージャーなど周囲の人たちの言うことを、ただそのまま聞いていただけだったんです。ボクシングは、技、体力、精神力が必要なのは当然ですが、実は頭脳戦。リングで戦うとき、相手が次にどう出るか、どれくらい疲労しているか、フェイントの掛けるタイミング、自分の疲労度などを瞬時に判断しながら戦っています。だから、ボクサー自身が、常に考えて行動することを能動的にしないといけないんです。そこに気づいたとき、『まだやり残したことがある』とハッとしました」

そうして大竹は改革を始める。ジムと何度も協議をし、双方納得のもとでチーム体制を変え、練習メニューに関してもトレーナーとよく話し合うようになったそうだ。アドバイスはきちんと受け入れ、自身が納得できないことやアイデアは意見として伝える。大竹もジム側も、互いに試行錯誤を繰り返した。そうして約1年半が過ぎた2016年3月、東洋太平洋スーパーバンタム級の王座を獲得する。改革の成果が目に見えるカタチとなった瞬間だ。

そして、今年2018年8月25日、大竹は再び世界戦に挑むことが決まった。前回のイギリス同様、ボクシング人気の高いアメリカでの開催で、試合会場は16,000人の観客を収容できるほどの規模である。

実は世界戦に挑戦するには条件があり、日本の場合、日本王座か東洋太平洋王座のどちらかの獲得が必要で、かつ世界ランキング15位以内でなければならない。今年3月までに3度の防衛を果たした東洋太平洋王者は、その条件をクリアしている。37歳の大竹が世界王座に君臨すれば、日本国内における世界王座獲得最年長記録(初獲得の場合)を樹立する。大竹に現在の心境を聞いた。

「今回がラストチャンスだと僕自身も考えています。33歳のときに改革を始め、そこからコツコツと結果を出してきました。手応えを感じていますし、年齢に関係なく過去よりも伸びていることを証明したいですね。僕の戦う姿を通して、後に続く選手たちに『年齢で諦めるな』とメッセージを送ることができたら嬉しいです。そして何より、今まで応援してくださっている方々のためにも勝ちたい。今の僕があるのは、応援してくださるすべての方々のおかげです。『勝ってご恩を返したい』という思いが強いですし、それが僕にできることですから」

心が湧き上がるような試合を届けられる限り続けたい

肉体強化を含めた厳しい練習、試合前の8〜10kgほどの減量、禁欲生活など、ボクシングは過酷な競技の代表格ともいえる。そのうえ、チャンピオンでさえ他の仕事をしながら練習に励み、年に数度の試合チャンスのために日々の生活を過ごしている。何が大竹を魅了するのか、意外な答えが返ってきた。

「ボクシングは『自分に嘘をつけない競技』です。どんなに強がって見せても、練習を積み上げて実力をつけていなければ相手に見破られますし、自分もそれを知っていますから相手と正面切って対峙できない。さらに試合中は『相手の呼吸』『目から伝わる感情』『相手の身体が発する疲労具合』『相手の思考・戦略』それらを感じ取って俯瞰的な視点で試合を運ぶおもしろさがあり、それがボクシングの醍醐味だと最近強く思います」

選手として集大成時期となる今後の競技人生をどう貫きたいか、最後に語ってもらった。

「応援してくださる方たち、お客さんに『見応えのある試合だ!』と心が湧き上がるような試合を届けられる限り続けたい。それには、結果が伴わなければなりません。いくら僕が『まだまだやれる』と思っていても、結果が出なければ僕だけの勝手な思い込みといえるでしょう。そこを見極めながら歩んでいきたいですね」

大竹の言葉を聞いていると、すべて「本気で言っている」ことがひしひしと伝わる。穏やかで間を取りながら語り、時折屈託のない笑顔を見せる。品格さえ感じられるボクサーの意外なギャップともいえ、それが人としての魅力にもなっている。

「ボクシングに対しては感謝しかないんです。ボクシングを続けていたからこそ出会えた方たちがたくさんいて、しかも応援していただいて。例えば、現在在籍している『横浜ビール』の社長はじめ職場の同僚にも心から感謝しています。僕が安定した練習環境に身を置けるのも、社長や同僚たちのおかげですから。東京に来てからはなおのこと、ボクシングつながりの方たちばかりです。それも、なぜかボクシングでつながった方々とは長くお付き合いさせてもらっていて、不思議と縁が切れることがありません。僕の人生の何よりの宝です」

彼の人柄に惹かれ自然とファンになった人は少なくない。大竹の凄みのある試合をこれからも観ていきたい、と思わずにはいられないし、期待してしまう。

文=佐藤美の

ボクシング/Boxing

アスリート名

大竹秀典

競技名:ボクシング

生年月日:1981年7月6日

出身地:福島県郡山市

身長・体重:172cm・63kg

血液型:B型

趣味:美味しいものを食べる

Get Support Project  さんより掲載させていただきました

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